Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

軽めの仕上がり (はてな編)

Curiosity is the most powerful thing you own.

アメリカ大統領選 : 保護主義が台頭するのか?

時事考

そろそろ大統領選も佳境ですね。

 既にアイルランドのブックメーカーが10月に入って早々に「ヒラリー勝利」で支払いますとか発表していましたが、これ、トランプに賭けた人から文句言われないんでしょうかね? 

blog.paddypower.com

  さて、そんな話はさてておき、気になったのがこちら系の報道。

www.nikkei.com

こちらは毎日新聞

佐々江賢一郎駐米大使の9月30日の記者会見での発言より

16年大統領選 保護主義助長を注視 佐々江駐米大使、両候補TPP反対に

 ❖記事のポイント
  • 民主、共和両党の候補が貿易について非常に後ろ向きの立場を表明し、米国の保護主義的なムードを助長している。
  • 両党候補が環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に反対している
  • 両候補の日米関係を巡る議論について「両候補とも日米同盟が重要だと思っていると確信している」

 当選してからポリシー変えるのは許されると思っているので、結果的にTPPも前向きになってもらえれば日本的にはありがたいところなんでしょうけどね。

 アメリカが相対的には国力で世界一でありながらも、絶対的な馬力では世界のおまわりさんを担う意志が低下しているのは事実です。それのおかげで地域紛争やらロシアの強引な領土拡張などがまかり通ってしまう要因になっていますが、そういった地政学的な課題について少なくともヒラリー陣営はよくよく分かっているはずですが、それでも環太平洋の貿易協定の話よりは、国内の景気や雇用、移民対策といったファクターの方に寄らざるを得ないのは、そっちの方が国民にとっては切実な問題であり、国のリーダーにはまず身近な問題を解決してもらいたいという意識の表れなのだと思います。こういうのはアメリカに限った話では無いですね。人類普遍の性質なのかもしれません。

 

❖期待感の乏しい大統領選挙

 エキセントリックな実業家であるトランプと輝かしい政治キャリアを持つクリントン。見事に対照的な候補ですが、今までのパターンであれば、アメリカ初の女性大統領という分かりやすいコンセンサスが推進力となっていたのではないかと思うのですが、そういった盛り上がりがあまり伝わってきません。

 むしろトランプが共和党代表にまで上り詰めてしまう所に今のアメリカが抱えている内在的な問題が見えてきていて、エリートや知識層といったエスタブリッシュメントへの反発、白人の相対的減少と根強い人種差別問題、貧富の格差の拡大、若年層における失業率など、移民対策など国内マターがとても多い印象です。

 アメリカ的正義のドライバー (Power & Charge) が機能している限りは乗り越えられてきたマイナス面が、ここへ来て押さえきれないイシューとなってしまっているように見えます。

 大胆な変化を望むならトランプ、現実的な維持変革を求めるならクリントン、というのが一番単純な分け方だと思いますが、産業界からするとクリントン派が多いのかな、という印象です。おりしもフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領がその自由奔放に見える放言っぷりで環太平洋諸国を惑わせているこの頃だけに、アメリカがトランプになるのはさすがに困るぜ、という所でしょう。 

 産業界でも、ユニクロの柳井会長兼社長の発言や、LinkedIn創業者のReid Hoffman氏の一件ユニークな活動などに接すると、「マジで勘弁」というのが伝わってきます。

 その反面、ヒラリーがベストチョイスかというと、そういう事を明言する人があまり目立たないのもまた現実。多分、「ヒラリー政権になると何が起こるのか」という点がトランプのそれと比べて分かりにくいことも要因なのではないかな、と。

 ここにも今回の大統領選における悩みがある訳ですが、裏を返すと中国やソ連からすると、アメリカの世論の足踏み状態をじっくり観察して、今後の外交を優位に進める備えをしているのだろうな、と。

 今朝 (11/8)の報道を見ている限りでは、ヒラリー当確と市場が見做せば様子見をしていた資金が株などのリスクマネーに戻ってくる事で、一定の底上げが期待できると言われているようですので、外野のコンセンサスとしてはヒラリーで確定路なんでしょうね。ただぬぐい切れない残り火のようにトランプが巻き起こした争点は、新大統領にとっても頭を悩ませる課題である事だけは間違いなさそうです。 

www.nikkei.com

❖なんで保護主義が好ましくないか

  さて、最後になんで「内向きの米国」が気になるかというと、アメリカって歴史的にモンロー主義に代表されるように孤立主義を取りがちです。初代大統領のワシントンの告別演説で語られた 、

「世界のいずれの国家とも永久的同盟を結ばずにいくことこそ、我々の真の国策である」

という非同盟主義的な価値観が流れています。

 真珠湾攻撃に端を発した第二次大戦を経てアメリカは「無関係ではいられない」という時代の流れに適合しはじめて、第二次大戦後のソ連の台頭を前にしてついに覇権主義(介入主義) に宗旨替えしていく訳です。世界の舞台に引っ張り出す遠因の一つが日本の見当違いな宣戦布告がきっかけというのも皮肉な話ですが、ここへ来て米国が内向きになると、積年の課題である沖縄をはじめとした米軍基地の問題や、対中国、北朝鮮といった日本の国益に直結する要因に対するスタンスが変わってしまう事に加えて、とはいえGDP一位の国が「僕知らない。自分が一番だもんね。」というこじらせ方向に舵を切ると、声と図体が大きい分だけアメリカと経済的・軍事的な利益をある程度共有している関係諸国にとっては偉い迷惑です。

 TPP反対とは言ってもいきなり保護貿易まっしぐらという事は無いと思うので、二国間協定といったものになるのだと思いますが、話がここまで煮詰まった所でのちゃぶ台返し的な展開は先々にしこりが残りますので、アメリカにとっても得は少ないと素人目には思う次第ですので、ぜひテーブルに戻ってきてほしい所です。

❖日本ってどっち方向がいいんでしょうね?

 アメリカのように外交力、軍事力、基軸通貨という意味も含めての経済力、人口と多様性があれば日本流のモンロー主義を模索することもオプションになるかもしれませんが、国土、人口、地政学、民族学などあらゆる観点で環境が違いますので、どうせ模倣するならヴェネツィアあたりを見習って、海に囲まれた地勢を活かしつつ、商工業で存在感を発揮していくのが日本にとっての方向性なんじゃないの、と思う次第です。要はバランス感覚。外から取り入れて発展させるセンスと自己利他というか利他主義的立ち回りのできる商魂だと思っています。

 もっとも、1000年以上に渡るヴェネツィアも歴史の流れの中で衰退を免れ得なかったのですが、そのあたりの経緯については塩野七海さんとかの作品を読んで頂くか、東京大学名誉教授の月尾嘉男さんの著作などを読んで頂く事をおすすめしますが、国が辿る道という意味で同質性の高い部分が感じられると思います。 

 

❖まとめにかえて

 長い事アメリカ企業で働いていると、アメリカ的価値観とか思考回路といったものは理解できるようになります。そこは企業経営も政治も大きな価値観のフレームには共通項が多いな、と感じています。

 一方で、日本はソ連との領土問題や中国とのバランス等、アメリカ以外の諸国との外交も主権国家として対処しつつ、主要同盟国であるアメリカのご機嫌を損ねないようにするという高度な立ち回りが求められているので、今回の大統領選の結果から年末のプーチン訪日にかけての対応が日本のこの先の立ち位置を左右するんだろうな、と素人考えしています。

 どちらの大統領になるから会社の戦略がいきなり変わる、というような事では無いですが、リーダーが変われば社会が変わるものなので、ビジネスも無関係ではいられません。犠牲や衝突を止む無しとした変革なのか、犠牲や衝突を回避する努力をした上での変革なのか、アメリカという国が変わろうとしているのは、この時代に生きている者としてとても興味深く見届けておきたいと思っています。

 

アパレルの進む道はクラフト型&国内回帰 という件

Marketing

こちらのコラムが面白いので、外野ではありますが拾っておこうかと。

❖供給過剰という過ち

www.apalog.com

 

曰く、アパレル業界の不興は「供給過剰」であるというのが論であります。

四半世紀で供給量が2.33倍になったのに消費量は18%しか伸びず、最終消化率が96.5%から48.9%に激落した

 とありますので、それが事実だとすれば相当に酷い話です。

 一般的には、ここで消費の伸びが弱まっているのは何故か? という方向に目が行ってしまうところですが、この方は消化率の低下こそが元凶であると指摘されています。確かに数字のインパクトとしてはそれが大きいです。

 仮に売れる数が一定だとして、消化率が50%を切るまで低下するという事は、ものすごい在庫になる訳ですから、まともな会社ならどこかで気がついて改善するはずですね。ところがアパレル業界ではそういう風にはならなかったと。

 売れるためのParityが低価格になってしまい、それを実現する為に量産効果を追求した結果、今の状況に陥っている、という事のようです。

 でもこれはマーケティング学を学んだ事があれば聞き覚えがある「High Pressure Marketing (高圧型マーケティング)」とほぼ同じな気がします。1920年代に勃興したHigh Pressure Marekting では、大量生産による量産効果で標準化した低価格品を消費者のニーズとはかかわりなく供給し続けるモデルです。

 このパターンの成功例として引き合いに出されるのがT型フォードですが、そのフォードが市場の変化( 消費者のニーズの変化) に対応出来ずにシェアトップの座を引きずり降ろされた点も含めてマーケティングの世界では歴史的事例 & 教訓です。

 おそらくアパレル業界の中の人からすると、さすがに「消費者ニーズは意識していたわい」と思いますが、ビジネスモデル全体としては観れば、100年前と似たような構図に陥っていたのかもしれないね、という指摘です。

❖消費者内多様化の先に

 消費者の価値観が時代とともに変化する事は事実だし、「消費者内」だけでなく「消費者間」という視点で見ても、クラスタが複雑化し、分断化ている事も実感的には間違っていないと思っている。

 アパレルなどの衣料品は、嗜好品と日用品の両方に跨るカテゴリだと思うが、おそらく苦しんでいる要因としては次の二点が考えられるのではないかと勝手に思っている。

  • 嗜好品に対する知覚が変化してきている
     嗜好品は買回り品でもある訳ですが、低成長時代に入って久しい世の中においては、計画的に買う以上、シーズナリティは極力排除して「長く使えるもの」に意識が向かう事は考えられます。その上で、ファッションが本来持っているトレンド感はマイナスに作用してしまうのかもしれません。
     なぜならファッションとは「ある時点において広く行われているスタイルや風習 (wiki)」と定義づけられるので、消費者内・消費者間多様化が進んでいるとすれば、ファッションが担う均一性や同質性は低下していく事になるからである。おそらく後者が増えているのではないかな、と。
    (これ完全に推測ですので根拠ありません。)

  • 「買う」という行為の変化
     流行が業界によって計画的に作られるものである以上、それに素直に従うセグメントがいる一方で、そこから外れようとするセグメントも存在するはずです。前者はなるべく低価格でトレンドを取り入れつつ、もろ被りは避けたいというタイプで、後者はトレンドからは距離を置いて自分の価値観を重視するタイプでしょう。そのどちらにも偏らない人がおそらく「おしゃれ」なのだと個人的には思いますが、トレンドの取り入れ方において「買う」方法にも多様性が産まれ、かつ「買わないで借りる (消費する) 」というオプションもここ数年で一気に普及してきていると思います。
     講座でも触れている話ですが、模式化するとこんな感じ。

    f:id:takao_chitose:20161031094855p:plain

     上図はファッションでもなんでもよいのですが、「欲しい」という欲求の昇華方法としては「買う・買わない」の二択が永らく続いてきましたが、冒頭の大量生産による供給過剰で結果的に「売り方」の方法が増えた事、さらには、どうしても「買えない」あるいは「買いたくない」というニーズに対してレンタルが普及しているのだろうなぁ、と。昔はドレスや晴れ着に限定されていましたが、年に一回着るかどうか、みたいなものであれば確かにその方が合理的な選択であると私も思います。
❖この先の方向性

 では、この先どうすれば良いのか、という点についてはとにかく「縮小することで供給過剰を調整して、リードタイムに起因するリスクを軽減すべし」と説かれています。人口が減少している日本において「縮小する」というチョイスが適切なのかどうか私には分からないのですが、その後の点については圧倒的に正しいと思います。

 コラムの中ではDellやトヨタの成功例を引き合いに出しつつ、ZaraなどのSPAもその方向にあると指摘されています。引き合いに出されているDellに勤務していた経験だけで言えば、サプライに関してはとてもシビアに予測をしていたと思います。ただし、こうした企業群はいずれもグローバルスケールを追及しており、その意味でインダストリ型に分類されるのに対して、このコラムで指摘しているのはクラフト型への回帰です。必ずしもJapan Quality的な感情面だけではなく、収益構造の立て直しも含めての攻めのダウンサイジングという点がポイントなのかな、と思っています。

  これと似たような文脈なのかもしれないな、と先週のWBSで報道されていた紳士服の青木商事の試みが興味深かったです。

・ワールドビジネスサテライト 10/26 

www.tv-tokyo.co.jp

 

 とかくアパレルが安きに流れる中で、「カスタマイズ」というこだわりの反映が20代の消費者の嗜好に合っているのでは無いか、という話。
 「安いものが良いもの」では無くて、「納得いくものが良いもの」。そこに惜しみなくお金を使うというのは、消費行為の形態が量から質に転換している事の証左なのかもしれません。
 まだこの試みが成功している訳ではないので結論づけるのは早計ですが、軽々しく 「Purchase Expereince が大切」なんて事を私も言ったりしますが、いつの間にか "Purchase" に寄ってしまったり、逆に接遇や空間といった目に見える部分に寄り過ぎた"Experience"だけになっている、という事が起きているかもしれません。

 ❖何となくまとめると
  1. 大量生産 / 大量消費を前提としたHigh Pressure 型のマーケティングからまだアパレル業界は脱却できていないのでは無いか? 
  2. 量的な需給ギャップが結果的に事業の収益性を悪化させ、ブランド価値を毀損しているのであれば、そこをシュリンクさせる事で再生を図れるのではないか? そのようにしても現下の利益率を考慮すれば成立するはず。
  3. ただしグローバル化を前提としたインダストリー型のモデルであればサプライの最適化に向けた投資が欠かせない。今取り得るオプションとしてはダウンサイズしてでも国内回帰してクラフト型で適性在庫を維持しながら収益改善する逆ベクトルも検討されるべき。
  4. 消費者の多様化を前提とするならば、成果物をPurchae に取るのではなく、Experienceにもお模式を置く働きかけが必要ではないか? 
  5. 上図のような所有から消費の流れの中で、PS Dept.のようなAIとMLを活用したサービスが一定の普及を果たすときに、店舗とは何か、人的サービスとは何かというさらに厳しい問いを突き付けられる訳で、そこはもはやアパレルの問題というよりは街づくりの問題に等しい事になってくるのだろうなぁ、と。

面白いコラムだったので色々と思考実験できてよかった。

 

※10/31 20:26 typo修正

デジタル広告運用は現代の自動車絶望工場なのか

働き方 Marketing

 なんだかこのタイミングでそんな意地悪な記事を書かなくても、とは思いますが、釣られた私がそんな事を言ってもダメですね。

sirabee.com

要約する程の文書量でも無いですが、主旨はこんな感じ。

  • 一連の事案を受けて24日から22:00以降は消灯するようになりました。それを現地で遠巻きに確認しています。
  • ところが近隣にある関連子会社の不夜城っぷりは相変わらず。それじゃ働き方改革にならないし、下請けに押し付けるような展開は駄目だよね。
  • リアルタイム性が求められるデジタル広告が主流になりつつある以上、この構造的な問題にどう対処していくか。
  • すべての企業・部署・個人が意識を変えることが、求められているのではないだろうか。

という具合です。具体的な提言は無し。 

二つの選択肢を考えてみました

 この構造的な問題にどう対処したら良いのか、という点について私の中では何となく答えの方向性が見えています。でも、私が思いつくような事は、世間の賢い皆様は先刻ご承知なのだと思っているのですが、あまり見かけないので自分のブログだし書いておきます。

  1. 24時間体制にする
     デジタル広告運用はその性格上、24/7なのは避けられません。広告予算が続く限りは永遠のチューニングが必要な終局無限の世界です。これは世の中のECやオンラインでの会員獲得などに取り組まれている方なら同意頂けると思います。
     じゃあ、それをどうするかといったら3交代でも良いですし、時差を利用したオフショア活用でも良いのですが、とにかく24時間運用をサポートする体制を整える事です。
     ここがかつての自動車絶望工場 (鎌田慧さんの名作です)を彷彿とさせるのですが、現実的にこうでもしないと長時間労働や深夜残業という宿痾からは逃れられないと思います。 
     この方向性の難しいところは、そのような体制を作るにはグローバルなスケールが無いとなかなか難しいという点です。でもそういう時代なんだと思います。成功している企業って業種を問わずグローバルオペレーションを打ち立てていると思います。(ちゃんと調べてないので勘です。)

  2. 機械化する
     もう一つ選択肢として考えたのは機械化です。AIやML (Machine Learning) などの技術により広告運用の根幹であるチューニングに関わる人的労働の負荷を代替させる事を模索する方向です。
     加えて、ターゲットやユニークリーチで一定の規模なり質を誇れる媒体側が同種の仕組みを整えつつ、クライアントと直接運用を始めればクライアント側にもそれなりに負荷のかかるデジタル広告運用のワークロードは削減可能であると思います。
     こちらのアイデアは、実現するにはややハードルが高いです。なぜなら突き詰めていくと、広告代理店の少なくともデジタル広告運用に関する部分は付加価値が見えにくくなる事と、媒体側も直取引でしっかりROIを叩き出せる強い媒体はともかく、Ad Networkに在庫流して糊口をしのいでいるような媒体にとっては、媒体価値が丸裸になってしまう恐れがあるからです。広告主、媒体、広告代理店という三角形において、一部媒体と広告代理店にはインセンティブが働きにくい事になるかもしれません。それがハードルが高い、と考える理由です。
避けては通れないパラダイムシフトですね

  きっと今回の騒動で、戦々恐々としている中小代理店さんってたくさんあると思います。こういうイメージが定着すると (イメージじゃないんですけどね) 、働き手が減ってしまって自滅に向けたカウントダウンが加速するかもしれません。

 私はもっぱら広告主の側ですので、「無茶なオーダーを一度もした事が無いか?」と問われれば「そんな事は無いと思います。」と答えざるを得ない立場です。
 が、代理店さんとクライアントが足並みそろえて「何とかして達成しよう」というスクラムが組めている限りは、しんどい局面も乗り越えられるという経験も有しているので、代理店さんにも上手くパラダイムシフトしてもらいたいな、と思っています。
 誤解の無いように書いておきますが、長時間労働や深夜残業を礼賛する気は全くないです。デジタル広告に取り組む代理店関係者のみなさんが、ビジネスとして健全にその発展を広告主、媒体とともに取り組めるようになるのが良い事なのだと芯から思っています。ただその為には、色々と変えていかないとね。というだけの話です。

 --------------------

 「働き方改革」に関しては先日、長々と駄文を書いてしまったので、本日は短く仕上げてみました。

日本人はなぜ「働き方を改革」しないといけないのか? - 軽めの仕上がり (はてな編)

takao-chitose.hatenablog.com

 

日本人はなぜ「働き方を改革」しないといけないのか?

働き方

 先週は「働き方改革」というトピックがニュースで取り上げられる事が多いと感じた一週間でした。感じただけなので、Google先生に聞いてみましたところ、データ的には過去90日で見た場合だと微妙に気のせいでした。

 

 「働き方改革」というのは、2016年8月3日に発足した第3次安倍第2次改造内閣の中で「一億総活躍社会」の一つとして取り上げられてまして、担当大臣も任命されているレベルですので、現政権において力が入っていることは間違いありません。

 こうした政府の働き方改革関連の動きと呼応して、私の勤務先でも玄関に看板掲げて盛り上がっておりました。という事で今回は、この働き方改革を少しでも自分ごと化するために、調べものしてみましたので、そのあたりを中心に思う所を書いてます。 

❖私の労働環境

 もともとこの分野をリードする事を公言している会社では今は働いているので、テレワークは当たり前の事として皆さん利用されているのですが、世の中を見渡すとまだまだこれから、という印象です。その為、今週も数多くのお客様がフロア見学に来られていました。

 個人的には『週間』もさることながら、「毎月第一・第三水曜日はテレワーク」みたいな仕掛けもしていく事で、テレワークの頻度が上がって普及を後押しするのではないかと思っています。

 なお、『働き方改革』でよく言われる長時間労働(残業?) の是正という点については、テレワークが進んでいる勤務先においては存在しないか、というとそんな事は無いです。時差のある相手と仕事をする時はもちろん、在宅であるが故に深夜早朝に集中して仕事をされている方もみかけます。あと、毎日夜遅くまで会社にいる人達、というのも何となくメンツが決まっている感じはしますが存在します。それが単純に忙しいのか、要領が悪いのかは外から見る限りは分かりません。ただ、自分の時間を差し出すことが仕事だと思っているような人はいないので、単純に労働時間が長いという感覚よりは、裁量労働的に「やらなきゃいけない事を出来る時にやる。それが昼間か夜か、何時間費やすかはあまり問題では無い」という感じがしています。もちろん、長時間労働そのものは規範的に見れば問題ですけどね。

 個人的には、「勤務時間」という規定そのものが多様性を阻害する要因であると考えているので、フレックス、テレワーク、休日の取得など全て任意にしてしまえば随分と柔軟性と多様性が改善するだろうな、と思ってます。 

❖政府系の動き

 参加されている有識者の人選についてはよく分からないので 、適切な人々が招かれているという性善説で話を進めます。こういう国策ものについてはWhyを理解するのが大事なので、有識者の発言から主だったところを拾っておきます。(※誰が言ったかは問題では無いと思うので、発言者が知りたい人はリンク参照されたし。)

  • 働き方の改革とは国家の成長戦略そのものである
  • 労働制度や慣行を時代の変化に見合ったものに変えていく必要がある
  • 年功や雇用形態にかかわらず、成果や職務、職責に対して報酬を支払うシステム
  • 雇用のセーフティーネットは、働く人自身がスキルを身につけ、再チャレンジすることが可能な労働市場の存在
  • 生産性向上の成果を働く側に賃上げや人的投資などの形できちんと還元していく仕組みが必要
  • 産業・企業の新陳代謝とあわせて、日本が世界のどの国と競争し、個人も世界のどんな人と競争していくかの将来イメージを持つべき
  • 36協定特別条項の上限規制など国レベルでの取り組みが必要
  • 長時間労働は、労働生産性の低下、国民の健康、女性活躍、子育て・
    介護問題など、多くの社会問題をもたらす原因
  • 同一労働同一賃金と長時間労働の抑制とが、働き方改革の枠組みの中で並行的に行われた結果として、どのような働き方の社会が実現するのかを提示する
  • 働き方は、労働政策・労働立法や企業の雇用政策・賃金政策などのみで決まっているわけではなく、所得税制や社会保障制度が影響を及ぼしている

こんな感じでしょうか。

これを踏まえて、首相から当面取り上げていくテーマとして以下が示されています。

  1. 同一労働同一賃金など非正規雇用の処遇改善。
  2. 賃金引き上げと労働生産性の向上。
  3. 時間外労働の上限規制の在り方など長時間労働の是正。
  4. 雇用吸収力の高い産業への転職・再就職支援、人材育成、格差を固定化させない教育の問題。
  5. テレワーク、副業・兼業といった柔軟な働き方。
  6. 働き方に中立的な社会保障制度・税制など女性・若者が活躍しやすい環境整備。
  7. 高齢者の就業促進。
  8. 病気の治療、そして子育て・介護と仕事の両立。
  9. 外国人材の受入れの問題。

感想としては、すげー大変。

強引にまとめちゃうと、Fare & Flexibility のある労働環境なんでしょうかね。

 オフィスの引越しに合わせて週休三日制の導入検討も話題になっているYahoo!さんも、中の人に伺う限りでは、まずは「いつでも休める週休二日」みたいな感じで検討していくようです。こういった取り組みが増えて行くことは良いことだと思います。「週休三日 = 機械化が進んで人が不要になる領域が増える = 賃金抑制で経営者はハッピー」みたいな図式でネガティブに捉える思考回路の方も中にはいらっしゃいますが、そういう人はこの時代の変化を受け入れたくないタイプの「脱皮出来ない蛇」みたいなものです。まずは新しい働き方を試してみる柔軟性がないとこの不確実な時代を乗り越えていくのはしんどいと思います。

 ❖なんでそんなに「働き方」を変えないといけないか?

 まずは事実をしかと受け止めるところからスタートですね。国内の格差是正、同一賃金問題など内向きなイシューはたくさんありますが、そもそもマクロで見れば日本は課題だらけである事は明らかです。

  • 生産年齢人口の減少
    詳しくは総務省の情報通信白書などをご覧頂きたいのですが、そこで提示されているこのグラフが一目瞭然でして、15-64歳の生産年齢人口は減少の一途をたどり、2017年に全体の60%を割り、2060年には50.9%とほぼ半分に減少すると推計されています。この生産年齢人口の定義に目を向けると話が違う方向にいきそうですが、老いも若きも働けるような社会にする事で、総人口が減り、高齢化が進み、少子化も劇的な改善が無い世の中を支えて行く事が重要だと言えるでしょう。

    http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h24/image/n1201060.png

  • GDPの低下
     GDPってのが分からない方はぜひこのあたりを確認して頂きたいのですが、各国との比較で見てみますとこの通り。
     飛び抜けて美しい右上がりが米国、2006年からの10年で急成長したのが中国 、そして穂が日本はかろうじて三位ですが、1990年頃から一進一退を繰り返しています。データの推移を素直に読めば、過去25年停滞している、という感じです。私の社会人生活にほぼ等しい期間停滞している、と考えると何となく自分が否定されたような気分になってしまいます。はぁ。

    f:id:takao_chitose:20161022224728p:plain

    資料:GLOBAL NOTE 出典:IMF http://www.globalnote.jp/post-1409.html
  • 膨らみ続ける社会保障費用
     そしてこの膨らみ続ける社会保障費用ですが、国立社会保障・人口問題研究所が便利な統計資料や調査を実施されていて、その中から社会保障費の推移を取り出しました。総額だと分かりにくいので支出の目的別のデータでグラフ化してみたとみころ、『高齢』というのが全体の費用の底上げのドライバーになっていることが明らかです。単位は兆円ですので、約40兆円が高齢者対策に充てられている訳です。もう眩暈がしてきます。平成26年度の法人企業統計を見ると、全産業の当期純利益の合計が41兆円*1

    f:id:takao_chitose:20161022232101p:plain

     これらのデータからクリスタルクリアなのは、「労働生産人口が減っているし出生率も芳しくない、さらに生産性がこの25年くらいは足踏み状態、現在の高齢者向け医療費が高齢化の進展に連れて増加していくのを野放しにしている状態。これは放置していると国として詰む」という事が再確認出来ます。
     こんな話は日本中のニュースやブログで書きまくられている話ですが、こうしてデータを自分で拾ってくると、明らかにやばいということが実感できます。
     ちなみに、諸外国とこの「高齢」向け支出が占める割合を比較したデータもここにありましたので補足でつけておきます。そんな状態なのに他国に比べてこの高い割合ってマジで危険水域。アメリカの低すぎるのもどうかと思いますけどね。(前掲の国立人口社会問題研究所のレポートより) 

    f:id:takao_chitose:20161022233244p:plain

  • 世界的に高い自殺率
     あまりグラフ化したくない統計なので、リンクだけにしておきます。
     WHOによる人口10万人あたりの自殺者数で見ると日本は172カ国中18位で18,475人です。そんな状態の国で自殺者数が多いというのは由々しき事態です。自殺の理由は千差万別なので一概には言えませんが、仕事が無い事を苦にしている方に対して働く場を提供できるようなセーフティネットも検討されるべきと思ってしまいます。所得としては限定的だけど社会的に必要な事や手が足りない所は色々あると思うので、好き嫌いは別としてまずは何か働いてみましょう、そういう機会を取り持つ社会的機能が必要ですね。あれ、そういうのをハローワークって言うのか。。。うーん、使ったこと無いので分かりませんが、そこも色々と根深い話がありそうなので、別の機会にもう少しお勉強してから発言するようにします。
     とにかく自殺なんて減った方が社会的にはいいに決まっている、という事が言いたい次第です。

top10.sakura.ne.jp

 ❖最後に気になった記事にちょっとだけ意見しておきます

 政府、企業、地域、家族、個人のあらゆるレイヤーで変わらないといけない状況下でなんか残念な意見に遭遇しました。

  この記事で語られている「働き方改革は痛勤 (注:原文ママ) を救わない」といった言説は理解できないというか残念というか。

そうした安倍政権は、「働き方改革」を大きく掲げている。そのタイトルだけをみると、「痛勤」ラッシュを解消するような、せめて人間並みに通勤できるような環境もつくってくれるのかと想像してみるが、現実は、そうそう甘くなさそうだ。

bylines.news.yahoo.co.jp

 別に私は現在の自民党政権が絶対的に正であるとは思いませんが、絶対的に間違っているとも思っていません。

 ただ、この記事の執筆者の主張で理解出来ないのは、現在の自民党政権批判につなげる事が主題になっているように論旨を組み立てている点です。そんなつもりはございません、と言われればそれまでですが。。。普通に読めばそういう風に解釈されると思います。

 私がなぜそう感じるのかを書いておくと、

  • 朝の電車が混んでいるのは通勤する人だけが原因では無い (主たる要因ではあると思いますが。)
  • 「働き方」を改革する = 「企業と個人の新しい関係性を模索していく」ことが肝要であり、そこが意図な訳です。電車の混雑解消は鉄道会社の仕事であって、彼らが顧客満足度をどう考えているか、という話です。
  • この改革を契機にして多様な働き方が浸透した結果、朝の電車の混雑が幾分緩和されるかもしれないし、逆に社会的に多様性が生まれた結果、朝の時間に移動する人が増えてしまい、朝の電車の混雑が今より悪化するかもしれません。

 と感じたからです。

 この記事書かれた方は、記事の後半で

働く側に立った処遇改善というより、いかにして労働市場に人を引っ張り出して労働人口を増やそう、という意図でしかない。つまり、働く側に立った働き方改革ではなく、働かせる側に立った改革でしかないのだ。

とも書かれています。

 労働人口を増やしつつ生産性上げていかないとダメなことはデータから明らかな訳で、何を甘えたことを言っているのやら、という感じです。記事の趣旨として政府や経営する側に対して異議を唱えるスタンスに立っているので、文意としては整合していますが、現実社会には合ってないと感じます。

 労働者は待遇が改善されるまで「待つ」ということであれば、日本語が喋れて、日本で働きたくて、日本の同年代と比べれば優秀だけれど相対的には賃金が安い海外からの労働力に持って行かれるだけですよ。そのあたりの自覚が決定的に欠けています。

 どのような政治的思想も自由ですので、そういう考え方であること自体は否定しませんが、環境は誰かに変えてもらうのではなくて、自分でチョイスしていくのが世界標準であることは認識しておいた方が良いです。

 通勤電車は私も苦痛です。だけど、読書や車内の広告を見て世の中を観察したりもできますし、必要と判断すれば自動車通勤したりもします。それは余計なコストと見るか、時間や手間を代替すると考えるかは自分の判断です。

 転職もおいそれと出来ないならば、

  • 引っ越す
  • 自転車通勤
  • 自動車通勤 (Carpool 含む)
  • タクシー通勤
  • バス通勤

 何でもいいからやってみればいいと思います。こういう事を言うと、「そんな余裕は無い」とか「出来ればやってる」とか言われそうですけどね。

 わかりきっている課題に対して何もアクションが自分で取れない方には、私の好きな孔子の言葉を贈っておきますのでご参考まで。

論語 衛霊公第十五 15

子曰。不曰如之何。如之何者。吾末如之何也已矣。

子曰わく、之を如何せん、之を如何せんと曰わざる者は、吾之を如何ともすること末きのみ。

※意味が分からない方はこちらでどうぞ。

 しかし、「働き方」の話で最後は他人様の記事にかこつけて私の主張をねじ込んでしまった。このテーマって広いので、別途、書くかもしれないな。

 

*1:推計値です。推計値 = 集計数 / 集計法人数 * -母集団法人数。詳しくは調査方法の概要をこ参照ください。

行き詰った時に自分を見直す3つのB

雑記

 何となく気がついてしまった個人的な法則を本日は共有しておきたいと思います。

なんか全体的に精神論的な臭いがプンプンしてきて恥ずかしい事この上ない & 他の方にとって役立つかどうかなんて全く自信が無いので、「ま、そういうやり方もありかもね。ふーん。」くらいに大目に見て頂ければと。

------------------

 仕事や家庭などカテゴリは何でも良いのですが、何となく、自分の中で「上手く行ってないなー」と感じる時って誰にでも経験があると思います。もし、そんな経験が無いんだよね、という人は恐らく次のどれかでしょう。

  1. あまり物事を考えてない
  2. 成長する事を諦めて、都合の良い空間で生きている
  3. 図抜けて優秀

 この中で言えば、私は3以外には憧れませんが、たどり着ける自信も根拠もない凡人ですので、壁に当たって悩んだり、ストレス溜まって毛が抜けたりする訳です。

 ただ、そんな時に、他人や環境に責任転嫁しているだけでは成長しない気がするので、適度に文句を言ってガス抜きしつつ、自分の心の闇と澱をレビューする事も必要だよな、と思う訳です。その方法として最近取り入れているのが、この3つBで始まるキーワードです。これで私は自分の心の壁を見直しています。

 

  1. Border : 未知と既知の境界線
    ボーダーの先は未知の領域です。そこに踏み込むかどうかの境界線やコミットメントです。成長や改善の可能性に対して蓋をしてしまう事は理由は何であれ避けたいと思っているので、そういう事態に陥ってないかを見直します。「まだ出来る事あるんじゃないの?」という問いかけです。

  2. Boundary : 壁。線引き
    「ここは誰かがやるだろう」という組織に対する根拠のない依存心なども含まれます。私は大きな組織で働くようになってきてこれが一番の悩みの種かもしれません。組織というのはそれぞれの役割りが定まることで全体が機能するものなので、一人勝手に動いては結果的に機能しません。ただ、同じことだけやっていれば良いというものでもないので、その折り合いの付け方やバランスがとれているか、という問いかけです。
  3. Bias : 偏見。意識の偏り。
     上記のBorderもBoundaryもこのBiasが影響している事は否定できません。
       とりわけ、グローバルな環境で働くようになると、文化的バックグラウンドが異なる人々と交わる事になるので「相手を理解して自分を理解される」という働きかけが関係づくりにおいて重要です。
     そういう意味で、「偏った見方をしていないか」という事は常に問い続けないといけないのかもしれませんが、私はそれほど人間が出来ていないので、「まったくあいつら〇〇なんだから」といったバイアスがかかってしまう事もあります。分かっていても出てしまうものだから、そんな自分を受け入れつつ、マメに補正するしかないなぁと思います。

 

 この3つのBの使い方で大事な点が一つあります。

 それは、自分の中で「悩みの原因」は特定しておく事です。この3つのBは、「何に悩んでいるのかを気づかせる」用途にはあまり適切では無くて、「なんでそれが壁になってしまうのか」という自問自答の際に役立つかな、というのが経験則です。

 

❖補足

 今回は3つのBという語呂合わせの良さに気を良くして、安っぽい精神論満載でした。書いてみてやっぱり軽く後悔していますが、正に"boundary"を設けてはダメだ、と己に言い聞かせながら書いてみました。こういう中身がない投稿に関しては、どんなに膨らましても1500字がいいところだな、という事を学びました事を併せてご報告させて頂きます。

 

仕事と食べ物は丸のみしないようにしましょう

働き方

 仕事がら電通の方とのコミュニケーションはあるのですが、電通と言えばつい最近、こちらの過大請求などの不適切処理について話題になったばかりです。

business.nikkeibp.co.jp

 日本国内の報道は何となく弱含みでしたが、Financial Times では続報も続けるレベルで扱われています。

Japan’s Dentsu aims to tackle overcharging revelations

Dentsu: Japan’s master of the message

 そしてこのニュースです。

<電通新入社員>「過労自殺」労基署認定…残業月105時間 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 若くしてこのような形で人生を閉じることになってしまった被害者の方のご冥福をお祈りします。ご本人はもとより、ご両親の心痛を察するに言葉もありません。

 事件そのものについては既に多くのニュースや有象無象のブログで語られているので、ここで改めてこの痛ましい事故について邪推する事はしません。

 ただ、「残業が月105時間」というインパクトをきっかけに、改めて代理店とクライアントというものについて少し考えてみた事を書いておきたいと思います。

 

❖日本人はそもそも働き過ぎなのか?

 かつてWorkaholic (仕事中毒) と揶揄されていた日本人も、幾度かの不景気や構造転換、価値観の変化などに翻弄されながら労働時間は短い方が良い、というのが一般的な認識だと思います。こういう時に便利なOECDのデータを使って諸外国との比較を過去15年遡ってみました。

f:id:takao_chitose:20161008211705j:plain

 37カ国分のデータとOECD合算の計38サンプルでの時系列データ*1です。日本が埋もれて分かりにくくなるので赤で太線にしています。

 日本のひとりあたりの労働時間は2015年で1719時間。OECD加盟各国の中での比較で17番目。一番短いドイツは1371時間。全体としては2000年に対して平均で5%時間が短縮されています。時間に直すと年間95時間程度削減されている事になります。

 では日本の年間1719時間を日常的に噛み砕くとどうなるか。

  • 月に直すと約143.3時間の労働
  • 週に直すと約33.1時間の労働
  • 週休二日の場合は一日6.61時間の労働

 という感じになります。

 こうやって見ると、自分の労働時間が平均と比べてどんなものか、何となくイメージが出来るようになると思います。仕事が好きでたまらない、楽しくて時間も忘れてしまう、という状況にある人と、思い悩んだり壁に当たっている人では、まったく印象が違うかもしれませんが、データだけ俯瞰すると決して「働き過ぎ」という程では無いと言えるでしょう。

❖「何時に働いているか」と「何時間働いているか」は別の問題

 このようなデータを見渡してみると、月の残業が105時間という事態がどれだけ異常な状態かはハッキリしてきます。単純にこんな生活が一年続くと年間労働時間は2979時間に跳ね上がります。2015年の平均に対して1.73倍多く働いている事になります。仮にそれを週休二日で回しているとした場合、一日11.5時間になります。通勤やら仕事の為の予備動作を入れたら14~15時間くらいにはなりますね。これは気力体力とかの次元で片づけてはいけない状態でしょう。

 ここでお断りですが、私自身の労働時間については、こうした統計データに対しては明らかな外れ値です。ここ数ヶ月で平均しても週休二日とは言え14時間労働が続いています。それが良いことであるとはちっとも思っていません。 非常に不本意で美学に反するのですが、今は色々あって仕方が無い、と自分に言い聞かせています。

 もとより、管理職という立場ですので、時間より生産高の勝負という事で年間通じて自分でリズムを作る事を意識しているような感じです。

 今回は話がそれるので詳細は割愛しますが、ワークスタイルにはとても柔軟な会社なので、チームメンバーのメールの受信時間が3:00AMとかでも「すわ超深夜残業」みたいには驚きません。在宅勤務や海外とやり取りする業務の場合「何時に仕事しているか」はあまり問題ではなく、本人が働ける時、働くべき時間に稼働して、アウトプットしてくれればよい、という割り切りでチームを見ています。

 もちろん、明らかに日本時間のその時間に社屋に残っている事が想定されている場合や、積上げていくととんでもない長時間労働である事が明らかな場合はその限りではありません。

 要するに、仕事とは自分でマネージするものである、という大前提があるという事です。だからマネージャとして見ているのは時間という量では無く、あくまで成果や進め方の巧拙である、という点です。 

❖きわめて日本的なもの、なのか

 その意味で言うと、新卒一年目の社員にそういった仕事のこなし方を教育もメンターもなく期待するのは誤りですし、業務の差配、労働衛生の監督という成果物以前の当たり前の部分があまりにも杜撰だったという指摘は免れ得ないでしょう。そこが冒頭の「不適切な」とも連環するなと思うのです。

 日本の広告代理店の特徴として「持ち帰って検討させて頂きます」があると思います。これにクライアント側も甘えている訳ですが、この「持ち帰る」時点で色々な意味でのボタンの掛け違いが始まっていると言えるでしょう。

 「持ち帰らないと答えが出ない」という事は例えば、

  1. 想定外の事を頼まれてしまった
  2. 当該業務とは関係ないはずなんだけど、色々と損得勘定が必要だから即答不可能
  3. 何を言われているのかそもそも理解できていない
  4. 稼働時間で最終的に請求するので、何でも持ち帰った方が利益になる

といった事が根底にあるような気がするのです。( ※クライアントにリテインされていて、包括的に請け負っている場合は事情は変わります。) 

 特に4つめのあたりが売上原価に対する意識の甘さというか、人件費で損しても製作費と媒体費でオフセット出来ればOKという「損して得取れ」な構造が根強いのか、なんかそのあたりに深い根があると感じています。

 今の時代に求められるマーケティング活動は、労働集約的な要素がふた昔前くらいと比べてとても高くなっていますので、そういった「まるっと取って来て後は総力で飲み込む」ようなスタイルで業務を回している事が常態化しているのではないかな、と85%のくらいの確信で言えます。( 証明できませんけどね。)

 この推測が当たっている場合、電通博報堂クラスであれば耐えられているかもしれませんが、労働需給のミスマッチが慢性化すると中小の代理店は厳しいことになるだろうな、と。

  この点は流通業の合従連衡とも似た構図な気がしています。例えばコンビニの吸収合併とか、居酒屋のバイト不足とかです。

 

❖これからのクライアントと代理店の関係

 言うまでも無いですが、広告代理店というのはサービス業です。その意味においては当面、業界そのものが消滅する事は無いでしょうけれど、もう「そろばんずく」のような時代には戻らないので、あり方を替えないと厳しいんじゃないでしょうか、というのが普段から広告代理店の方と接していて思います。

 って訳知り顔で語るだけだと物足りないので、三つばかり私案を提示して締めくくっときます。

  1. レートカード方式
     グローバルな代理店ではよくありますが、業務として請け負う事を明確に契約して、追加分については作業単価分ずつ加算していく電車賃みたいな方式。これのいいところは、仕組上、クライアントも無理筋通したりすると身銭を切ることになるので労働集約化しがちな部分をある程度制御する事が可能です。
     デメリットは、機動力や柔軟性が欠けるので業種や要件によってはフィットしない場合があります。
  2. 人材派遣業化する
     日本は世界でも有数の人材派遣業が多い国ですが、ここは敢えて、「マーケティング関連業務の人員を派遣する」とモデルを置きかえてみる。結局、クライアントが欲しいのはある分野の専門性か、アウトソースしたい業務、という事になりますので、割り切ってしまえばこういう形も可能。通訳さんとかと同じ世界です。メリットは、一度入り込めると安定的に収益を作り出しやすい事が期待できる反面、代理店側にナレッジを貯める事が困難になるので、長期的に見てどうやって人材を育成するかという課題が出るかもしれない。あと、そもそも派遣業法的に見て成立するかどうか検証してないので、そのあたりがネックかも。
     クライアント側からすると、能力ある人を買う感じになるので、なぜマーケティング部門の社員がいるのに更に人雇ってるの? という事になりかねません。代理店の提供するものが、「手間」や「作業」の代行からそれらを処理できる「人」という資源を提供する事でそういう疑問が浮かんでくるんじゃないかな、と。
  3. ハウスエージェンシー化する
     2と似たような案です。デジタル広告領域においては、その複雑性と収益への直接的なインパクト、スピードの追求などからトレーディングデスクの内製化が一部の大企業では一般化しつつあります。元々大企業が、特定の業務領域を別会社化する方法は、旅行や事務作業、情報システムなどで見られる手法ですが、これと同じです。コンサル会社がマーケティング会社を買収したり資本参加している流れは2の部分ですが、この3の場合は大型クライアントと共同で会社を設立するような形で現れてきます。グローバルエージェンシーではしばしば見かけるパターンです。メリットとしては年単位でクライアントと向きあえる安定感が期待できますが、クライアント側の要求を満たす人員確保や業務プロセスの安定稼働など、動き出してからが色々と大変なんだよね、というのを経験的に感じています。

 色々と考え巡らせてみましたが、会社全体としても個人としても「丸のみ」しちゃだめだよな、と。
 よく噛んで、食べられなければ吐き出してもいいと思ってます。結局、仕事で大事な事って期待値のコントロールが結構な割合を占めている事も多くて、そこが知らない間にずれてしまうようなシステムやマネジメントをなるべく無くさないといけない。
 何かあった時に「あれってどこの案件なんだっけ?」という事もになりかねない訳だから、代理店だけの問題では無くて、クライアントも含めて考えないと行けないよな、と思う。

*1:OECD Statsより筆者作成

シン・ゴジラを観て感じた「逆アベンジャーズ」の構造

時事考

 前回「そんな事を書いている暇があるなら映画一本観られるぜ」という程度の時間を費やして、自分が何故ゴジラを消費した事が無かったのか、話題のシン・ゴジラを観に行きたくなるのか、を考えてみたこちらの続編です。

takao-chitose.hatenablog.com

 考えてみたつもりなのですが、冷静に考えると「流行っているよ」というメディアに踊らされて観に行くような自分は受け入れ難い、というちんけなプライドが邪魔していただけなのかもしれません。自分の手で過去の成績と比べて見たら明らかにヒットしている訳で、その事実を自分の目で確認しにいく事はマーケティング界隈の端くれにいる者としての務め、という責任感に目覚めました。ま、小さいプライドをポジティブな探求心に昇華させる事に成功した訳です。

作品について

 とはいうものの、これまでのゴジラシリーズは一度も完全に観た事はありませんし、庵野監督の代表作であるエヴァンゲリオンシリーズもまともに観た事が無いので、その点で変なバイアスはかかってないと自負しています。逆にそれぞれとの比較とかもできませんので、一期一会の感想というレベルです。

 感想をひと言でお願いします、と聞かれたらこう答えます。

「逆アベンジャーズみたいでした」

 これについては後段でカバーしますが、 既に『話題の沸騰』という意味ではピークは過ぎているようなので、露骨ではないけどネタバレしている点はご容赦を。

※以下は9/18時点でのGoogle Trends より。

 

振り返りのポイント

もともと、前回のポストで上げていたのはこのあたり。

  • 大人向けに仕立てているのか? 
    これはマーケテイング文脈です。誰が金払ってくれるか、という意味で。
  • Resurgenceという英語のサブタイトル
    「再来・再生」とか「復活」という含みだと思うので、何かしら過去から引き継いでいるはず。それは破壊?
  • 「怪獣」というギミックの役割り子供たちに「世の中の何か」を伝える媒介としての怪獣は今回は意図していないのか。そこは妖怪さんに任せるのか? 
  • 「現実(ニッポン) vs 虚構(ゴジラ)」というコピーもしかすると「現実 (ゴジラ) vs 虚構 (ニッポン)」なんじゃないのか、という点。

なのでこれらのポイントをなるべく回収しながらの感想文です。

  • ゴジラという空想の産物の活かし方
     これを苗床にして、現代日本をシニカルに捉えた政治コメディという意味では楽しめました。その辺りに対するディテールは手が込んでいたと思います。手が込んでいると感じられるのは「日本の行政」の部分だけ。アメリカの政治的行動については(承知の上でやっていると思いますが)論外の適当さ。各国の政治的な行動を正確に描写しようとすればするほど、そもそもの「ゴジラ」という無理筋が際立ってしまうので、どこかで漫画的に処理しないと話が進まなくなるのはこの手のSFの宿命なので、それ自体はむしろストーリーから気が散らないという意味では良心的かな、と。
  • ガンダムエヴァンゲリオンの世代を旧世代のゴジラで結びつける
     既に色々な方が書かれていますが、庵野監督という事でどうしてもエヴァンゲリオンとの相似形で語られている部分があります。観た事無い私が言うのもなんですが、多分当たっているのだと思います。
     私はいわゆるガンダム世代 (1979年のテレビ放映にハマった世代)に属していて、その14年後くらいにやってくる エヴァンゲリオンの頃には、いわゆるタツノコプロ的なアニメとかロボットものから卒業していた頃です。
     ガンダムゴジラガメラといった怪獣、ウルトラマン的な勧善懲悪に対するアンチテーゼのように「機械文明」と「人間の性と業」みたいなものの描写に力を注いでいたと思っているのですが、それに刺激を受けた世代がゴジラに反応し、それを作っているのが庵野監督というエヴァンゲリオンの人、という所が味噌かな、と。
     このガンダムエヴァンゲリオンという異なる母集団を、両方の集団とは異なるゴジラを題材にして、惹きつけた庵野監督の腕前は相当なものだと思います。ただ、惹きつける為に、怪獣よりは右往左往する役人さんたちにストーリーを振って、大人の鑑賞に堪えられるようにしたのでしょう。そして 、相手が虚構の代表でもあるゴジラですので、あくまでも2.5の線で物語を進めないと収拾がつかないでしょうし。

  • そこで思い出したのがアベンジャーズ
     アベンジャーズは、アメコミヒーローのクロスオーバー作品です。異なるキャラクターが単体の作品を持ちつつ、世界観はマーベル・シネマティック・ユニバース(Marvel Cinematic Universe,MCU)というもので共有されていて、サブセットとしての作品を順次出しているものです。
     今回のシン・ゴジラでは、モスラとかガメラとかは出てきません。あくまでも共有されている世界観は映画の中では無く、観に来ている人の中にあります。ミリタリー好き、怪獣好き、生粋のゴジラファン、ガンダム好き、エヴァ育ち、石原さとみ派に竹野内豊ファン、政治劇が好きな人 、特撮やSF好きなど、軸足の異なる人達が揃って観に来ても何となく楽しめてしまう、という意味でとても優れた作品です。
     つまり、異なるヒーローを一か所に集めてみんなが楽しめるようにする「規模の経済」的なアプローチでは無く、一つのシンボルに色々なアングルを持たせる多様性を含ませた事で、結果的に多様な来場者層を取り込んでしまうという「範囲の経済」的なアプローチが頭に浮かんだわけです。*1それがアベンジャーズだと感じた所以。最大公約数的に楽しませるという意味ではハリウッド的な作りの上手さとも似ているかもしれない。
     ただし、この作品では「破壊の象徴としてのゴジラ」より政治劇的な部分に力が入っているのは否定できないので、その意味で子どもを相手にしてない事は明らかです。
     なので、子どもを炊きつけて商売を太くするのは妖怪の仕事、大人の琴線くすぐってズブズブにするのが怪獣の仕事、って事にひとまず結論づけておきます。そう考えると、庵野監督は次のエヴァンゲリオン劇場版 (があるらしいのですが) で新しい客層を引きずり込む可能性が高くなると思います。

  • どこか生活感の無い空気が漂っているのを是とするか
     この点については、「虚構であるゴジラ」という存在により「現実の日本の適応力を傍証する」という意味においてはたっぷりと時間と予算をかけて描写してくれているので、映画のコピーが言う「現実 vs 虚構」というのはその通りだと思いました。
     ただ、先のポイントで言及した、「ハリウッド的な最大公約数の仕立て」が長所でもあり、短所にもなるのはこの「リアリティ」が偏って描写されている点です。かつてのゴジラ作品を観たことが無いのに言い切るのは無責任ですが、「怖い怪獣と人間の対立」という基本的な構図は今回においてもそのまま踏襲されているのですが、どこか「人間」の側、つまり本作で言う所の「現実」側が終始、他人事のように描かれているところが気になりました。役人の描写が多い割に、庶民の描写が少なくて、そういう意味での生活感みたいなものが無かったので、現実と虚構といいながら、どちらも記号みたいな感じで、血とか感情がほとばしることが無かったのがやや物足りなかった。
     政治的スタンスとして左巻きの人であれば、政府や行政のふがいなさを俯瞰であざけるような描写の連続に喝采しつつも、丸子橋から武蔵小杉に向けて一斉に発射する件とかでは血相変えて怒らないと政治的スタンスが成り立ちません。「現実と虚構」の対立関係を主題に据えるのであれば、「現実」の多様性にもう少し目配せしても良かったのでは、と思いますが、この作品の良い意味での軽さを失うかもしれないので良い塩梅だったのだろう、とプロの腕前を一旦信じることにします。

  • CG技術の進歩
     ここは見ごたえありました。安心して観ていられるクオリティは久しぶりかもしれません。CGが行き過ぎたアベンジャーズは「俳優いらないじゃん」という世界にたどり着いてしまっているのですが、このシン・ゴジラでは生身の役者とCGの出入りが違和感なくて気が楽でした。
     さらに、主に城南地区に馴染みがある方、武蔵小杉界隈の方、京浜急行フリーク。丸の内界隈にお勤めの方にとってはDVDやブルーレイを買ってスロー再生で確認したくなるようなカットが山盛りでした。私もその界隈には住んでいた事もあり、オフィスが品川なので「会社倒れるかな」みたいな楽しみ方が出来たので、買ってしまうかもしれません。破壊シーンは知らない土地より知ってる土地の方が感情移入しやすいという事を再確認出来ました。
     政治的なものに対するシニカルさを徹底するのであれば、国立競技場をゴジラが破壊して建設費圧縮とか、東京湾から上がってくるルートは豊洲にして、乗り越えた瞬間にパワーアップとか黒い方面に振り切ってくれると楽しいのですが、制作時期や大人の節度があると思うので、あまり求め過ぎてはいけないのかもしれませんね。
     いつの日か、国体や大河ドラマ誘致に絡めた地域おこしの一環で「ゴジラで我が町を破壊してください。ゆるキャラじゃなくてゆるくないキャラで。」みたいな営業活動が発生するのかもしれません。
終わりに

 という事で、シン・ゴジラを観る前と後で時間と文字数を費やしましたが、映画としては面白いものでした。伊福部さんの音楽を上手く取り込んでいるところにも深いリスペクトを感じます。
 だけど、このシン・ゴジラを観たから過去のゴジラ作品を一気見したくなるという欲求は1ビットも出てきませんでした。それは、多分、庵野監督の中にあるゴジラに、庵野監督が産み出したエヴァンゲリオンをマージさせてしまったのが本作品であるように思えるからでは無いかな、と思います。

 その意味で、Resurgenceというのはしっくりくるなぁ、とひとりごちています。

 

*1:本当に多様な人が観に行ったかどうかを示すデータは見たことが無いですが、来場者数の多さ、そして今まで一円もゴジラに使った事が無い自分がわざわざ観に行ったという個人的な体験だけで推定していますので、あんまり目くじら立てないでくださいね